戦後の復興シンボル・広島城
二度と倒壊しないように…!鉄筋コンクリートで復活を遂げた広島のシンボル!
広島城は戦国時代末期に毛利輝元によって築城されたお城で、別名・鯉城(りじょう)と呼ばれています。1945年(昭和20年)の原爆によって全ての建物が倒壊しましたが、天守閣は1958年(昭和33年)に再建され、現在、資料や模型等で広島の歴史を紹介する博物館となっています。
広島公園(広島城)の観光バス駐車場前から見た「御門橋」と「表御門/平櫓」。
お出かけ時期、雰囲気等の参考にしていただけたら嬉しいです。
表御門は、二の丸の入口にあたる門。櫓門と呼ばれる形式の門で、原爆により焼失し、1989年(平成元年)~1994年(平成6年)にかけて復元され、現在は内部が公開されています。
表御門の裏側(二の丸側から見た門)。
二の丸跡。奥に見えるのが太鼓櫓(たいこやぐら)。
二の丸は馬出(うまだし)と呼ばれ、出入口を守ると同時に、外部へ出撃する際の拠点としての役割を果たしていました。
右から、表御門、平櫓(ひらやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)… 左奥に太鼓櫓(たいこやぐら)があります。
櫓部分は、内部が無料で公開されています。
総延長35間(約63m)あるといわれる多聞櫓(たもんやぐら)の内部。いろんな展示がされています。
二の丸の橋の側に立つユーカリの木。原爆で、すぐ横にある二の丸建物群が炎上する中生き残った復興の象徴・被爆樹木ユーカリノキ。
橋を渡った先にあるのが「中御門跡」。 石は被爆時の火災によって変色しています。
この門の横にも、中御門・二の丸建物群が炎上する中生き残った被爆樹木マルバヤナギがあります。
中御門跡を過ぎるとすぐ目の前に広がるのが「本丸下段」というエリア。奥に見えるのは「広島護国神社」。
広島護国神社は、明治元年の戊辰(ぼしん)戦争で戦没した広島藩士を祀る為に建立された神社。
その後の戦争で戦没した約9万柱もの英霊が祀られています。
こちらも原爆で消失しましたが、1956年(昭和31年)に、広島城跡内に再建されました。
本殿向かって右側にある昇鯉(しょうり)の像。難関突破・目標達成・開運出世にご利益があるそうです。※左側には、双鯉の像(家内安全・夫婦円満・恋愛成就)があります。
鯉が描かれた絵馬は2種類。左が双鯉、右が昇鯉。
広島護国神社鳥居横にある売店横の石段を上ると「本丸上段」エリアになります。
写真は2016年7月に撮ったものです。
原爆に負けずに残ったのは、石垣とお堀、土塁など。倒壊した天守の残骸は仮設住宅や燃料として使われましたが、一年ほど放置され、再建されたのは6年後の1951年(昭和26年)でした。
参考・参照
▷ 広島城ホームページ
▷ 広島城について | 安芸ひろしま武将隊
▷ 広島城パンフレット