浅草寺[2] 山門と五重塔エリア
大混雑の仲見世を抜け、広い山門と五重塔に安堵!
浅草寺の山門は、942年(天慶5年)、平公雅(たいらのきんまさ)によって創建されました。
以前は、仁王像(金剛力士像)を安置していることから「仁王門」と呼ばれていましたが、再建後内部に収蔵室が設けられたことから「宝蔵門」と呼ばれるようになりました。
現在の門は、1964年(昭和39年)に再建されたもの。鉄筋コンクリート造の建物。
お出かけ時期や、雰囲気の参考にしていただけたら嬉しいです。
京都・曼殊院門跡の良尚法親王筆の模写…といわれる宝蔵門の額「浅草寺」。
宝蔵門の左手には、浅草寺のシンボルでもある「五重塔」が。
五重塔手前、宝蔵門を正面に見て左側にあるのは「浅草不動尊」。
浅草不動尊の左脇にひっそりと居られた「撫で地蔵さん」。
治したい所をなでてお祈りすると願いが叶うとか…
三蔵法師のような… とても穏やかなお顔をされています。
浅草寺の山門である「宝蔵門」は、浅草寺の什宝物が収蔵されています。
1648年(慶安元年)に、本堂、五重塔と共に再建された山門ですが、1945年(昭和20年)3月の空襲により焼失。1964年(昭和39年)に再建されました。
「小舟町」大提灯は、重さ500kg。
「魚がし」吊灯籠は銅製で、重さは1,000kgあるそうです。
向かって右側にいるのが吽形像。モデルは明武谷といわれています。
左手にいるのは阿形像。こちらのモデルは北の湖とのこと。
山門裏手にある巨大わらじは、山形県村山市の奉賛会より1940年(昭和16年)から奉納されているもので、魔除けの意味があるそうです。
高さ4.5m、幅1.5m、重さ500kg。
浅草寺の五重塔は942年建立。その後倒壊・焼失を重ね、現在の塔は1973年に再建されました。
鉄筋コンクリート造りの高さ48mの塔です。
宝蔵門の右手にある母子地蔵。ちばてつやさんのデザインだそうです。
第二次世界大戦末期ソ連参戦で犠牲になった母子の霊を慰める為に建立されたそうです。
写真は2014年〜2016年の間に撮ったものです。
とにかく広い浅草寺。
本堂(観音堂) 前には笑顔がいっぱい!
参考・参照